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奇跡的な寒さ。

この間ようやく秋が来たと思ったらもはやすっかり冬で、だからどうというわけでもなく、続ける言葉も何もなく、粛々と受け入れるばかりの日々、貴社益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。(時候の挨拶)

久しぶりに日記を書こうと思い立ったが、書けることがまるで無い。最低限人間として社会の中を生きているのだから必ず何かしらをして、見て、聴いて、感じているはずなのだが、自分でも驚くほど何も無い。何も無さが何年も着古したコートのようにすっかり皮膚感覚に馴染んでいる。身体の一部になっている。身体の全部になっている。何も無さがコートを着てそこに落ちている。相変わらず、本と音楽は馬鹿の一つ覚えみたいに買い続けていて、それぞれを読む時間や聴く時間を好ましく感じているはずなのだが、恐ろしいことにこれという感想が微塵も残っていない。ただ消費している。感情がない。感性が死んでいる。改造される前の記憶を失ったはずが、何故だか何度も特定の場所に戻ってきてしまう哀れなロボット。きっとそこは生前大切な思い出があった場所だ。しかし、それをもう自分では決して思い出すことは出来ないけれど。という。そのような人生。不良品。廃棄物。いやただの動物だ。本能と習性。それだけで生きている。寒くなると餌を求め人里に降りてきて、撃たれてしまう。

キリストが生まれた日がなんだというのか。世間では祝祭ムード一色。夜、駅前の街路を飾る色とりどりのイルミネーションの光。黄色、赤、緑。それを見て美しいと感じることに一抹の罪悪感を覚えるけれど、冬の日差しを跳ね返して撒き散らす昼に見る木々の深緑と、その美しさと一体何が違うのだろうか。消費電力かな。見て見ぬふりで歩いて。不在表持って郵便局に行ったら局内の行列もカップルだらけでびっくりした。暖房の効きすぎた室内、長蛇の列の最後尾で、郵便物くらい一人で取りにこいとか、二人で過ごすなら後日受け取れよとか、余計なことを思ってしまうのは俺の心が貧しいからで、感性だけでなく心まで貧しくなったらもうお終いだ。どうしようもないな。本当に。今日の日がいつか許されますように。私の貧しい感性がいつまでも許されませんように。神様が君とおりますように。

 

 

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