神田

4月。いきなり20℃を超える暑さになったかと思えばすぐにまた肌寒く強い風が吹く日もあって、相変わらず気候に翻弄される毎日。外を出歩けばTシャツ一枚の人もいて厚手のオーバーコートの人もいて、この季節何を着て出ればよいものか非常に判断に困る。我々は一体誰を信じればいいんだろうか。しかしあのTシャツ一枚の人もオーバーコート羽織ってる人もみんな昔子どもだってね。外国で飛行機が落ちました。統一感のない街並みは現実感が希薄で、まるで覚め際の夢のように思い出せないくせになかなか消えてくれなくて苛立ちばかりが募っていく。誰にでも不意に訪れる軽薄で残酷なあの季節、というのが今年の春の名前だった。何ごとも終わりがくるから美しい。感傷は結果論でしかなく、けれど。別の色で別のかたちをした僕たちが同じ時間に同じ場所に存在できたことはそれだけできっと励みだった。木漏れ日が撫でる石畳の目地の迷路の上を理解も分け合いもないまま半歩譲ってすれ違うように、目を合わさずに微笑みを交わす近付かない距離こそが共感だった。得たものは決して軽くはないけれど、それを掴んでいられる握力がないからここにぜんぶ置いていく。吐き出せなかった言葉を積み上げ、出来た斜塔が倒れたときに私は同時に死ぬだろう。胸を強く打たれて。沈みきれずに漂うようにまた季節が変わって景色だけが動いて、僕ら別の何かになれないとしても、少しずついくらかマシになろう。くだらなく長い文章の、読みづらい漢字をひらくみたいに。

 

 

 

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