スペルバウンド

朝。珈琲、クロワッサン。雨。遠くに新宿の高層ビル、雲がかかって天辺が見えない。伝説の塔の様相。咳が止まらない。治りかけていた風邪が悪化している。ただでさえ終わらない長雨の中、朦朧とした意識で、夢見心地で歩く。終わっている感じ。ルーベンスの絵の下で眠りたい。

昼。モスバーガー。大声で喋る老人。大声で喋る老人。大声で喋る老女。大声で喋る化粧の濃い老女。大声で埋め尽くされた店内。終わっている感じ。世界のあり方なんて結局自分の視点からどう見えているかであって、それは自分が風邪ひいただけで変わってしまうようなか細くて頼りないものだ。なんて、物思いに耽り一瞬いい気分になるが、ほどなくして昔どこかで読んだチェーホフの言葉の言い方を少し変えただけの受け売りだったことに気付く。天国から地獄。ドッペルゲンガーに会いたい。

夜。天津飯、冷や奴。暑い喉に沁みる。

学生の頃、友達に呼び出された夜。自分から呼び出したくせにいつになく遠慮がちな態度をとり続ける彼は少し躊躇った後「恋人がうつ病になった」と言った。またうつ病の話だ。今までも知り合いの中に何人かいたし、ストレス社会の現代では珍しい話ではない。けれど「その大変さが分かる」と言ってしまうと嘘になる。当事者ではない以上どんな共感も励ましもなんだか失礼な気がしたし、重く受け止めるのも軽く受け流すのも間違いであるような気がした。向こうもあまり暗い気分にさせないよう話す言葉を選んでいる様子で、しばらくお互いに探り探り、覚束ない足取りで会話を続けた後「彼女のために少しでも何か出来ないか最近うつ病について色々調べてる」と彼は言った。そして色々調べた結果、一つだけ分かったことがる。それは「どうやら豆腐を食べるといいらしいわ」ということ。正直に言えば「色々調べてそれだけ?」と少し呆れつつも、なんだか少し和んでしまって、二人とも豆腐を買って帰った。

僕はその時の言葉をチェーホフの格言なんかよりずっと覚えていて、気分が落ち沈んだ時とか心が弱っていると感じた日にはとにかく豆腐を食べるようにしている。豆腐を買うこと、食べることで救われている。豆腐にはやさしさが含まれている。豆腐には希望がある。幽かでも確実に。

 

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