思い出じゃなくて好きになって

週末、何か世の中の善良さを知るための重大な手掛かり掴んだような気がして大事に握りしめていたその手を、今日になってよく見てみればただの握り拳。仕事上のストレス。

頭の中のエレベーターは短い間に上がったり下がったり。まるで複合商業ビルのそれ。

 

 

昼。道端で品の良い老婆と散歩しているトイプードルが、救急車のサイレンに共鳴して遠吠えするのを見た。あんなに小さくて愛らしい愛玩犬が、姿勢を低く上体を反らし震えながら精一杯の声で吠えるその姿。隠された野性。唐突に顕れるその雄感に、不覚にもぐっときてしまった。

個人的には関ジャニ∞では断然丸山君と錦戸君と大倉のファンなのだがこの瞬間、安田君のファンになる人々の気持ちが少しわかったような気がした。元々この4人はグループの中でも演奏もハモリもしっかりしているし演奏中の立振る舞いからロック好きなのが見てとれた。それなのにそれを鼻に掛けることもなく、アイドルとして消費されることに恥じ入ったり不満気にすることもなく、ロックファンに対して謙虚であり、アイドルファンに対しても誠実な感じがして好印象だった。バランスがいい人たちだと。

しかし周りの音楽好きからの関ジャニ∞の評価は散々なものだ。「実際は演奏してないんでしょ」とか「(よく知らないけど)演奏下手でしょ」というのが大体の総意だ。これは仕方ない部分もある。実際バンドとして格別に優れているわけではないし、アイドルとは偏見で見下されるのも仕事だし、それでいい。自分も彼らの全ての曲が好きというわけではなくて、むしろ大きく嫌いな曲もある。ただそういう曲も、どんなあれな曲だって嫌な顔を見せずに真面目に取り組む姿勢が憎めないではないか。

だけど、というかそもそもロックなんて音楽なんて全部結局グラビアアイドルで、硬派ぶったロック雑誌もマニアックぶったサブカル誌もエロ本となんら変わらないのだ。本当は。

音楽もアーティストも自己の欲求を満たすための偶像でしかなくて、雑誌やネットの記事なんてそれを求める人たちが喜んでくれそうなことを書いてるだけの自慰ツールだし、そこで持ち上げられてるミュージシャン達も自然体に見えるように、或いは日陰者に見えるように、カッコつけないようにカッコつけているだけなんだ。皆、別のアプローチで同じことをしている。

悟ったような捻くれたような病んでるような歌を歌うナイーブサブカルバンドマンが演奏終了後や打ち上げでは打って変わって軽薄に、悟ったような捻くれたような病んでるようなサブカル女性客を持ち帰る光景。誰しもライブハウスで10000回は見たことがあるだろう。彼らの見下すアイドルや、ときめきを求めてコンサートに行くアイドルファンとどう違うのか。そこに貴賤も優劣もない。音楽が救い上げるのは美意識でなく自意識だ。

それを知りながら音楽を好きでありつづけることがどれほど難しいか、そして音楽を好きでありつづけながらも謙虚でいることがどれほど難しいか。

どこでそれを知れるのだろう。

 

 

日付が変わってもまだ水曜という事実に愕然とする。月曜から水曜までの夜の数が十も二十もあったように感じる。日曜までが果てしなく遠い。けったいやな。ほんま。

 

 

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