シュバルツ・ハーツシュバルツ・ハーツ

2年前までファミリーマートがあった場所に、またファミリーマートが出来ている。帰ってきたファミリーマート。その不屈さやリベンジ精神や呪いみたいなものには、ただただ畏敬の念を禁じえなくて、頭が垂直にがつんと下がる思いで、今度こそずっと脈々と続けばいいと、純粋に思う。

しかしこの2年の間、ファミリーマートが潰れてから再び立ち上がり眼の前に現れるまでの間、そのテナントに何の店が入っていたのか、あるいは何の店もなかったのか、既に全く思い出せなくて困惑する。本当に人間の記憶なんて頼りのないものだなどと主語を大きく嘆いてはみたけれど、ひょっとしたらとても単純に、自分個人の注意力や記憶力が度を越えて低すぎるだけなのかもしれないと思い至ってはらはらする。おいおい、と思う。けれども、はなはだ縁起の悪い話ではあるけれど、もし仮にまたあのファミリーマートがあっさり潰れてしまっても、音を立てて崩れて落ちてしまったとしても、緩やかに遠くなっていったとしても、今度はちゃんと覚えていようと思う。真夏の太陽を全身に浴びてチカチカと瞬く開店記念のデコレーションや色彩を伴ったその影を、店の前でスーツ姿で直立し道行く人に挨拶していたオーナーか店長と思しき熟年男性の、嬉しさと少しの不安が入り混じったあの笑顔と含羞を、ずっと覚えていようと思う。確かにファミリーマートはそこに存在した。誰に訊かれても肯定できる。美しい時間は確かに在った。あなたの純粋な笑顔が、そこには在った。行かないけど。覚えているよ。

仕事終わりに書店街に立ち寄って彷徨するゾンビ。大型書店の1階で、エスカレーターに乗った中年男性が何かを眺めながら、慈しむような愛おしむような温めるような表情で下降してくる様を目にする。一体どれほどに可愛い猫の写真が飾ってあるのだろうと興味を惹かれその男と同じようにエスカレーターに乗って同じ方向を覗き込んでみると、そこには楽に3回は死んでいるような惨め極まった陰鬱な幽霊の姿があった。それは紛れもない自分自身の姿だった。それは一枚の鏡だった。 

自分の言葉を話すことができない呪いをかけられたエコーは、美しい青年ナルキッソスに恋をするが「他人の言葉を繰り返すばかりで退屈だ」と見捨てられてしまう。身も心も衰弱し消え失せて声だけの存在となったエコー。一方のナルキッソスも度重なる傲慢な態度によって多くの怒りを買い、報われない恋の呪いをかけられてしまう。ある日森に迷い込んだナルキッソスは泉の水面に映る美しい青年に恋をする。しかし、どれだけ愛の言葉を囁いても水面の青年は何一つ言葉を返してくれなかった。それでもそこから離れることが出来ず、日夜水面に愛を囁き続けたナルキッソスも、やがて衰弱して消えてしまう。最後の時の別れ際、最後の力を振り絞ってナルキッソスは水面に囁いた。「美しい人よ、さようなら」その時誰かの声が聞こえた。「美しい人よ、さようなら」

自己否定感がどろどろの骨髄液になっていて、自己どころか罪もない自分の好きなものや人まで否定してまうような堕落しきった我が身としては、自己肯定感が強い人は本当に凄まじく輝いて見えて、太陽よりもひたすら眩しくてエッジワース・カイパーベルトよりも静謐で神秘的に思える。彼らと自分の星の間には巨大で分厚い水槽の隔たりがあって、向き合って同時に覗いてみたってそこに映ってみえるものは何もかも全く違うのだ。それがどれだけ憂鬱であって、それがどれだけ素晴らしいことか、きっと誰にも分らないけれど、昔、友人と行き場なく喫茶店でくだをまいていたら隣のテーブルの見知らぬ女性が退席した時に、「今の女、自分の写真待ち受けにしてたわ」と友人は笑ったけど、それを聞いて自分も「まじか」って笑ったけど、その時本当は「すこぶるいいな」と思ったんだ。「100万円あげたい」とも、思った。

 

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