食べられる鮎

帰省。

小中時代の同級生に誘われて温泉に行く。軽く「風呂にいこう」と言われたものだから、てっきり昔よく一緒に行った近所のスーパー銭湯にでも行くのだろうと思っていたら、しっかり車で2時間半かけて山奥にある宿場町の温泉に連れて行かれてびっくりした。川があって橋があって、長くて狭い道の両脇に木造の低い旅館達が犇めいていて、ジブリの映画のようだった。露店で鮎の塩焼きを食べた。夏のせせらぎと夕闇が溶け込んで滴れて、凄切な美味さだった。

翌日も翌々日も同じ友人に誘われて、食べに行ったり飲みに行ったりと連れまわされた。盆休みの間は実家でのんびりと自堕落に過ごすつもりだったのだが淡い希望は悉く潰えた。どうやらこの旧い友人はとても寂しいらしかった。

彼は実家から徒歩30秒の家に住んでいる所謂幼馴染で、別々の学校に通うようになっても、別の街で暮らすようになっても、夜中にいきなり長電話してきたり、人のことを呼び出しては恋人の愚痴を長々と聞かせてくるOLのような男。ただの愚痴なら可愛いものだが、この男の凄いところは散々恋人のわがままさや自分の苦労や哀れさを語ったその後、舌の根も乾かぬうちに、さっきまで語っていた恋人とは別の恋人の愚痴を全く同じテンションで語り始めるところ。最低でも2人、多い時には5~6人の恋人の愚痴を一晩の内に一気呵成に語り尽くす。相手のジャンルも様々で、職場の同僚、職場の客、出会い系の女、婚活パーティの女、バツイチ、子持ち、人妻、なんでもござれ。それらの女達との恋愛事情を赤裸々に語っている間も、折を見てスマホを取り出しては熱心にLINEを打ち、ひたむきに出会い系アプリをチェックし続ける。アプリの検索対象には同県内どころか隣接する複数の県の女性も入っている。車で2~3時間くらいなんてことないんだ。田舎だから。そんな風に言って笑う。

車のダッシュボードには「ラブソングBEST」みたいな流行歌のコンピレーションCDしか入っていなくて、部屋にある本といえばデートスポットや夜景スポットの雑誌だけ。映画を観るのは彼女が行きたがった場合だけ。話題はいつも女のことだけ。うちでCDを流していても「車でこういう曲かけてたらモテるかな」という率直な感想。本能に忠実過ぎる男。家族以外では一番古い付き合いであるが、今まで生きてきた中でここまで何の文化にも興味を示さない人間は他にいなかった。方向や程度の差はあれど、誰にだって好きな芸術なり文化なり、何かしらのメディアに対する愛情や造詣が少なからずあるものだと思っていた。そういうものに頼らずに生きていける人間がいるなんて思ってもいなかった。会う度に思う。なんでこいつと一緒にいるのだろう。というかとてもクズだな。と。自分でも不思議でしょうがない。けれど、好感や共感が原動力でなくても友情は成って立つらしい。身をもって知ってきた。尊敬も分け合いもないまま、どうしようもない時間を折り重ねていく。それが多分全部だった。

今は、ただひたすらリビドーの荒野で彷徨いもがき続ける彼の生き様を、文学的だとすら思う。終始節度とか倫理観からはみ出さないままの小説なんてきっと退屈だ。いつも見境ないくせに被害者ぶって自己憐憫に耽る彼に対して「村上春樹によって書かれた男」と皮肉混じりの二つ名を与えてみたって、満更でもなさそうにまた笑う。そうでなくては、と思う。「お前しか友達おらんねん」という言葉に、そりゃそうだ、と思いながらも、ほいほい出て行って毎度吐瀉物みたいな愚痴を聞く。散々好き放題喋って喋って、眠そうな顔をして、別れて帰って1分も経たないうちに同い年の男に「今日は楽しかった~(絵文字)ありがとう!(絵文字)」みたいなメールを送ってくるどうかしている男。うんざりするけど、次にまた帰省した際には多分また会うのだろう。そしてまた、キャリーケースに入りきらない大量の食料の入ったドンキの袋を持って東京に帰る羽目になるのだろうね。次からは夏場に要冷蔵の食品を入れておくのは、止めてな。

  

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