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 先月読んで面白かった本

図書館島 ソフィア・サマタ―

「わたしの物語を書いて」と死せる天使は言った。

 文字を持たぬ辺境に生まれた青年は、世界中の書物を収めた島に幽閉される。

 帯に書かれた概要だけで既に面白い。青年が文字を知り書物を知り記すことを知り拡がっていく世界の瑞々しさ。同時について回る世界の複雑さ。鮮やかで幻想的な比喩の数々。読み応えしかなかった。幻想文学にはまりそう。でも「天使を見た」と言った主人公が隔離されてカウンセリングを受けるところ、(丁寧に前振りはあったものの)急に現実っぽい感じがして少し笑ってしまった。

図書館島とは関係無いけれど、「わたしの物語を書いて」で中村明日美子の「ウツボラ」を思い出した。これも書くことを強いられる人の物語で異常に面白い。初めて読んだ時この作者の他の作品も読まなくてはと思って調べてみたら、なんというかなかなかハードルが高いものが多くてずっと手が出せないでいる。

認識により世界が拡がっていく話でいうととりわけ多和田葉子の「雪の練習生」(中でも「北極を想う日」)が大好きで、これについては長くなるので別で書きたいがどうせ書かない。

 

 

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 昔、電車の中でミッション系小学校の下校集団と出くわしたことがあった。走り回りながら車内に乗り込んでくる騒がしい小学生と、ホームに残って笑顔で子どもらに手を振る老シスター。どうということもない下校風景だったが、ドアが閉まった時にふとホームに目をやると、先程の老シスターが顔を伏せ手を組み合わせて一心に祈りを捧げている姿が見えた。車内の子どもたちは友だち同士でふざけ合っていて、もうホームなんか見向きもしなかったけれど、老シスターの祈りは電車が走り出してホームが見えなくなるまでずっと続いた。その時に丁度iPodからこの曲が流れていて、まるで夢を見ているみたいだった。その光景と合わせてトラウマの如く強烈に印象に残っている。

しかしいくらミサ曲とはいえ、児童の見送りとレクイエムを結びつけて感動しているのは我ながら少し不謹慎だという気もがしないでもなくてどうなのだろうか。”Te decet hymnus”の訳を見た限りでは有りだという気もするが、カトリックの中でのレクイエムの位置づけがわからないので何とも言えない。

そしてこの間の金曜日のこと。天理教の敷地から出てきた足を引き摺った老婆が、門から出た途端に振り返り、境内に向けて長く深いお辞儀をしているのを見かけた。この時は何の音楽も鳴っていなくて、むしろ静か過ぎるくらいだったけれど、やはり何かしら胸を刺すものがあった。自分は何かを信仰することは出来ないけれど、何かを信仰する人の尊さなら少しは理解出来る気がする。

 

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キッチュでレトロで異様にポップで、90年代かよって思っていたらタイトルの後ろに親切に※2014年と書いてあって有難い。ご丁寧にどうも。不思議な安心感。それに歌詞が良い。

喉鳴る示唆のたわわな因果

 とか

 俯仰は終始せど

とか

歌詞カードを見ないと絶対何歌ってるのか聴き取れないし、何歌ってるのかが分かっても結局何言ってるのかよく分からない。しかし謎の勢いと語感の良さで、もはやこのメロディーに納まるのはこのフレーズしかないとさえ思えてきてしまう。極めつけはサビの

最後はゾンビだ君は死なぬ 

 死んでる。

ゾンビは死体だよ、と物申さずにはいられないが、改めて全体の文脈で読むと死に瀕している恋人への祈りのような、自分を縛りつける誓いのような、ひたすらに切実な言葉のようにも思える。ネガティブなのかポジティブなのか分からないけどとにかく力強い、きっとどうしようもない現状の中で縋る気持ちで絞り出した全身全霊の肯定だ。それはどんな甘い言葉よりもうんと優しい。

でも死んでるよな。