水に眠る

日曜日、今日も快晴。無神経な日差し。歩く影がアスファルトに焦げつく。

 

遮蔽物の少ない大通りを避け路地を歩く。脇にある公園、タクシードライバーが煙草を吸っている。

子供の頃読んだ北村薫の短編で、夏のとても暑い日の中でとある男女がコンビニかどこかでビールとジンジャーエールと紙コップを買ってきて公園のベンチでシャンディガフにして飲むというシーンがあって、その話がどういうストーリーだったかはもう忘れてしまったけれど、毎年日差しが強くて暑い日に公園の近くを通るとその部分だけを思い出す。

それで大学生の頃、実際に自分でも同じシチュエーションで同じことをやってみたはずなのだが、先に思い出すのはいつも小説の方だ。こういう時に自分が如何に体積の軽い表面的な体験ばかりを重ねてきたかが窺い知れて気が重くなる。

なんでも核心や中心に近づくとかかる重力が増えるものだ。

 

夜、神保町、炒飯店。この店の炒飯は美味しいのにいつ行っても客がいないし、店員同士がよく中国語で語気荒く口論している居心地の悪さもある意味で好きだったのだが、最近はどうも賑わっていることが多く、なんとなく入りづらくなってしまった。今日も満席の店内を横目に通り過ぎ、好きでもないラーメン屋に入る。身勝手な喪失感と身勝手な祝福。あなたのそばに誰かがいてよかった。なんて強がりのふりした当てつけか。

 

帰りの電車。都営新宿線。九段下で熱気を帯びた多くの人が乗り込んできて、車内の温度が5℃ほど上がる。武道館帰りの人たちだ。数名男性もいるがほとんどが女性。20台前半から中盤が多い印象。恐らく男性のソロかグループのコンサート。皆一様に、ある程度動きやすそうなカジュアル感を出しつつも清潔感や華やかさにもしっかり気を使っているといった装い。このことからしっとり聴かせるソロシンガーでもなく、ノリのいいダンスグループやパワフルなロックバンドでもなく、若くて繊細なタイプのギターロックバンドだと推測。

このような主観が強くて勝手な推測は我ながら下品なことだと思うのだけれど、こちらもいきなり窮屈で蒸し暑い思いを強いられたのだから、これで双方痛み分けということにして自分を許す。

 

家に帰って買ってきた牛乳パックを開けるのに失敗する。

 

具体的なことを書こうとするといつも途端に整理がつかなくなる。あったことや思ったことを正確に伝えられる文章力が切実に必要。

 

 

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本当はもっとポジティブでポップな日記を書きたかったのに何故だか今一つ、そうならなかった。気持ちとしてはこのくらいのポップさのはずだった。