六月の

日記。

長くなりそうだからあとで書こうと思っていたら十ヵ月近く経っていた。

聞いてほしいことはたくさんあるのに上手く整理が出来ないまま積み重なって崩れて倒れて、なんとなく悲しい気持ちだけが構造的に生み出されていく。自分にとって重要だと感じた出来事も時間が経ってしまえば笑い話にもならないし、喜びも悲しみもどうせ常温で価値を失う缶コーヒーみたいなものだった。冬の日の夜に間違えて冷たいのを買って、飲むことも捨てることも出来ずにただ持ち歩くだけだった。たったそれだけのことだった。そんなことを思っているうちにそんなこと言ってられないくらいの悪疫が起こって、当たり前が変わって、それすらも落ち着いて、また日常が戻り始めている。日記一つ書けない間に。

諸々の空気の影響下でストレスが溜まって、ろくに下見も打ち合わせもせず急遽引っ越しを決めたものの、弊社は出社時間が変わっただけで休みも残業も変わらない平常運転だったし、世間はコロナ対策の時間短縮やリモート推進でどこに掛けるにも電話が繋がらないしで、既に契約開始日を過ぎているのに荷造りも新しい生活環境の手続きも全く終わっていない。今まで通り壁の薄いアパートで暮らしながら、誰もいない部屋の家賃を払い続けている。君はいつかこの行為に意味を見出すだろうか。時間の概念をマイナスベクトルで可視化した、とか。

 

 換気のために六分の一だけ開いた電車の窓から、向かいの車両の並んで揺れてる吊り革だけが見えて、それがどうしても綺麗だったから、本当はあっちの電車に乗りたかったのに乗れなかった。

 

 

 

 


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